1994-06-07 第129回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第1号
炎天のおかげで高値であったという部分もあるでしょう。あるでしょうけれども、全体の生産量が百万近く減っていたのではないか、私はこう思うのです。 したがって、自然環境がどうであろうがなかろうが、輸入がどうであろうがなかろうが、やはりもうミカンは百万トン体制にしないことにはミカン農家は成り立たない。
炎天のおかげで高値であったという部分もあるでしょう。あるでしょうけれども、全体の生産量が百万近く減っていたのではないか、私はこう思うのです。 したがって、自然環境がどうであろうがなかろうが、輸入がどうであろうがなかろうが、やはりもうミカンは百万トン体制にしないことにはミカン農家は成り立たない。
○日出政府委員 二年、三年は、先ほど申し上げました炎天の効果である程度需給が締まったというふうな感じがございます。ただ、四年、五年は、さっき申し上げましたように、生鮮オレンジの輸入の影響ではなくて、むしろ四年、五年それぞれが例えば果実が小玉だったとかあるいは糖度不足だったとか、こういうことが市場関係者の話によりますとかなり大きく響いていた、こういうことでございます。
あの夏の暑い炎天下しで、子供たちが帽子がぶって練習するときに、どうしてもやはり衛生的に、医学的に丸坊主の方がええんだという話ですね。医者からも、それはそっちの方がええと、こう言われて我々はこれが最適だと思ってやっておるんだ、こういう話でございまして、そこで、なるほど、そういう見方もあるなど。
しかも、炎天四十度以上の中で努力をされてきた。見事な面魂でありました。本当に感服をいたしました。
しかし、炎天のもとでそれなりの、三十四個という機雷処理を果たしたことは、それはそれで敬意を表したいと思うわけでありますが、この結果から見て、出す時点ではなくてこの結果から見て、このたびの掃海作業というものはその効果がどこにあったか。
ペルシャ湾に行っている掃海艇、大変な炎天のもとで御活躍をして大変御苦労だと思います。頭の下がる思いをいたしておりますが、この方々の実績、これからいつごろ帰ってこられるのか、いつ終わるのかというようなことをひとつ簡単に御説明願いたいと思います。
じりじり照りつける炎天を避け、早く日陰に入りたかった。いつもより三十分ほど早く兵隊を引率して山の陰に入ったところで原爆が炸裂した。間一髪のところで原爆の直撃を避けることができたが、これも偶然であり、運がよかったとしか言いようがない。 この後が大変だった。救助活動で、見るも無残な状況に直面することになった。広島市内は焼け野原となり、死体が散乱し、生き残った人々もやけどでぼろきれ同然だった。
七月、八月、炎天のもと、お盆のもとをもほとんど前線警察官の諸君が一日も休むことなく、若いお母さん方の不安を取り除くために、凶悪な犯人逮捕のために日夜を分かたず努力をしておった話をお聞きし、また非常に人員が不足をしておるということの実情等を聞かせられまして、これは海部総理にも、また大蔵大臣にも、またその他の閣僚の皆さん方にも今御理解を求めているような努力をしておるところでございます。
保険薬にしようとしまいとそんなことは構わないけれども、この薬一つ手に入れるために飛行機に乗ったり宿屋を予約したりして日本の果てから飛んできて、あの駒込にある日本医科大学のところへ、この炎天の中ですわり込んでいわゆる五千円出して四十日分の薬を買っていく、この苦しみだけはひとつ解消してくれないかというのが切実な願いなんだよ。 それを解消することによって、一体どんな被害が出てくるのです。
私も附属校の現在校長を兼務しておりますが、買い切りで参りましても炎天干しに二時間も三時間も待たして平然としておられる。こういうことでは、これは旅客の吸収は不可能だと思うんです。
国民生活との関連において、たとえば夏は高校野球があったり、かんかん照りの四十度も近いような炎天のもとで行われる、部屋の中はクーラーで冷やしてある、冷やしたビールを飲みながらひっくり返ってテレビを見る。
これだけ炎天の中だから、陳情者に早く陳情の用を足すようにしてあげたいということで、私は百歩譲って、建物の中に入ることはひとつ譲りましょう、しかし、われわれがいま立っているところは道路じゃないか——最高裁判所の敷地の一部じゃない、道路だ。
八月の炎天で日傭取りをする、土方の仕事をするものですから、なれぬ仕事だから、ぶつ倒れて日射病で死んでしまった、首つり自殺した人がある。機業家がそうならば、そこに働かれる労働者はどうなっているか。これも首切り、帰休、レイオフが幾らでも行なわれておる。おかげで夜学の学校ができなくなったということである。それだけじゃない。首を切られずに残った人は賃金カットなんです。きょう総評から北陸路へ走ります。
これはいろいろ問題があるのだろうと思いますけれども、現にそばまで来ている水道、そして一方はものを言わない芝生の手入れ、一方は夏などはもう炎天の中で子供たちが野球にいそしみ楽しんでいるけれども、肝心な飲み水がない、こういうことで非常に困っているわけです。特にまたそこにトイレがないということが大きな問題になっております。
役所のほうでは四十七年五月十五日に許可を与えているというのだったら、それがどうして下まで徹底しないのか、この辺のところについて私たちも疑問に思うわけでありますけれども、そういうことであるならば、さっそく申請をし、この夏の炎天のときに子供たちが水にこと欠かないようになれば、たいへんけっこうなことだと思います。地元のほうに帰りましたら、なお一そうこのことも徹底したいと思います。
もう一つ、夏になると、あの国道が全部自動車、自家用車がストップをして、三時間四時間は炎天の中に自動車をずうっと連ねておらなくちゃならない。
戦時中食糧増産のために掘り起こし、一面の畑地となっていた運動場の整備に、あるときは二キロぐらいも離れた河原から川砂を風呂敷に包んで、いたいけな低学年生が両手にぶらさげ、アリの行列式に炎天の下を歩いて運動場に運びました。私もともに、生徒よりは大きい袋を持っていたしました。現在の繁栄下の本土におきましては、ほんとうにほんとうだったかしらと思うような姿でございました。トラックももちろんございません。
しかし、これはもう私たちは、東名高速道路は料金を取り、しかもバスは予定した以上にたくさんのお客が来て非常な利益をあげているにもかかわらず、東名高速道路の乗るところは、ふぶきの日もかさをさし、炎天にも何にも入るところもない、そうして何時間も待たしておいて平気でバスを運行している。こんなばかなことがあるわけはない。もっとこの点について善処していただきたい。
失対の就労状況なんか見ておりますと、高齢者があの暑い炎天干しで道路の、何といいますか、作業を手伝っておるのを見るとほんとうに痛々しい。この暑さ、思いやられるほどの炎天の中であの年の人が仕事をしてまともにできるのか、またそれは健康にどうなのか。見てるわれわれ若い者――若くもありませんけれども、若い者としては見るに忍びぬではないか、こういうような状態では。
特に年末始には御承知のとおりでありまして、皆さんおとそで一ぱい祝っておる最中にも、郵便の集配の職員は、あるいは郵便局の職員は、一生懸命汗水たらして区分したりあるいは配達しておる、こういう状況もありますし、また、一年間の郵便職員、特に雨でもあるいは風の日でもどんな炎天の日でも一生懸命で使命を果たすために働いておる職員に感謝の意味を込めて何がしかの感謝の意を表示するということは、私は今日の社会にあってもいいのではないか
第二点は、協会がいろいろ施設をやる、その施設について、日本の気候にどういう特別な考えを持っておるかという点だろうと思いますが、私どもも雨とそれから暑い夏の炎天を避けるためになるべく屋根を多くとっております。たとえばお祭広場というようなところには非常に大きな屋根を用意して、いままでかつてどこの万国博にも例のないような、広場に屋根をかけて、雨が降っても暑い日がさしても大丈夫のようにしております。
零下三十度のときでもあるいは三十度をこす炎天の中でも外で働かなければなりません。しかも、その作業の現場が人里離れた山奥というような場合が非常に多いわけであります。したがって、多くの山林労働者はその仕事に携わるのに家庭から離れて山で一般の社会生活を放棄して労働に従事せざるを得ないというのも、これまた現在の林業労働者の宿命でもあるのであります。また扱うのが木材であり面す。